「ハゲる心配なさそうな髪でいいですよね」
20代なかば、子を成すのが早かったなら息子と呼べるくらいの年齢の部下のひと言だった。口角のきちんと上がった笑顔だったが、彼がさらりと言ったことばの裏に感じた気配にはっとした。そこにかつて薄毛に悩んだ私と同じものを感じた。動揺というには微かすぎる、ほんの少し揺れ動いた自身の感情。気が付くと自然に言葉がでていた。
「20代のころは、悩んで自殺まで考えたことがあるんだ」
今まで忘れることができていたのだ。あれほど苦しく、誰にも言えず、恐怖と絶望に泣き崩れていた日々を。
私は部下に夢中で話した。
話題を振られないようびくびくしながら頭髪の話に参加するみじめさ。笑顔を貼りつけ、茶化す言葉は自らを切り刻む。意図的に額より上を見ない人たち。いつもあざ笑われているように錯覚し、人を信じることができないつらさ。陰口におびえ、仕事仲間にさえ疑心暗鬼になる自分への嫌悪。
私は部下を見ずに話し続けた。
それは、あれだけ悩んで苦しみながらも懸命に前を向いて生きた過去を、忘れていたことへの懺悔だった。今の人並み以上の平穏な暮らしは、あの頃の自分が耐えたからこそもたらされたのだ。
同時に、薄毛を気にしている自分を誰にも悟られてはいけないという呪縛からの開放だった。部下はその触媒だった。
夢のなかで何度も髪がすべて抜けた自分と対峙させられ、目が覚めるたびに安堵し、その安堵すらも鏡の前に立てばすぐさま恐怖と不安に変わって襲いかかってくる現実。つらかった、苦しかった、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。なぜ自分なのか。
いつのまにか部下は泣いていた。いまどきの世代らしく、あまり物事や仕事に執着はなさそうではあるものの、人とは明るく接することができ、営業成績もよく、相手を笑わせる話もできる。宴席ではまわりに髪をネタにされることはあったが、「今の給料じゃヅラも買えない」と笑い飛ばせる度量もある部下だった。
部下の話は、私にも過去に身に覚えがある話だった。
「そろそろキテるんだよなあ。お前もヤバイぞ」という社内の40代男性の、何気ないひとこと。七割の自虐と三割の笑い、ほんの少しイジリスパイスが入った程度の軽い禿げトークが宴席で起こったとき、部下が笑いで切り返すよりコンマ数秒早く、同僚の女性が発した言葉だったそうだ。
「ちょっと透けているだけだよね」
よくある話だ。誰も悪くない。ここに悪意を持って人を貶める人間は誰もいない。けれど、仕事仲間であり同期、さらに密かに想いを抱いていた女性からのこの言葉は、彼が存在自体を隠していた悩みを白日の下に晒し、無残に切り裂いた。
このできごと以降、彼の仕事のパフォーマンスはあきらかに落ちた。普通に出社し、職場でもかわらず皆と接しているが、彼から話しかけることが少なくなった。細かなミスが多くなった。営業成績も徐々に落ちてきていた。あきらかに集中できていない。そう思った私は彼を酒に誘い、冒頭の言葉を聞くことになった。
宴席でのやりとりを知らず、仕事上の悩みをフォローしようと思っていた私は、彼の言葉に虚を突かれた。もちろんプライベートが業務に影響することなど別にめずらしくもなく、私的な相談を受けることは彼に限らずよくあることだ。私が驚いたのは、彼が開口一番、なんの脈絡もないところから冒頭の発言をしたことだ。
誰かに聞いてほしかったのだろう。一人で苦しかったのだろう。彼は自分の髪の悩みを笑いに昇華できる人間ではなかった。ハゲも個性のひとつとして胸を張る自負心も持ち合わせていなかった。彼は薄毛の悩みに押しつぶされようとしていた。彼の笑顔の裏にそれを感じ取り、冗談で切り返さず真剣に話ができたのは、かつての私が彼と同じだったからだ。
私は現在アラフォーと呼ばれる世代で、妻と遅くにできた娘がいる。上場企業ではないが会社役員をしている。今は髪について人から指摘されたり、悩んだりすることはまったくないが、若いころは薄毛に悩まされていた。悩みが解決したのは、将来の不安におびえながらも必死で情報を集め、早くから行ってきた薄毛対策が効いたからだ。
私が役員にまで昇りつめたのは、もちろん営業という仕事に真摯に打ち込み、助けてくれる上司や部下にめぐまれ、実績を積み上げてきたことが主因である。しかし、もしも若いころ薄毛に悩んだままだったなら。もしも完全に禿げてしまっていたなら。おそらく今とは違った結果になっていただろう。私にとって抜けていく髪と禿げることへの恐怖は、仕事に打ち込むための意欲や集中力を奪い、生きる気力を削ぐのに十分な力を持っていた。
このサイトは、過去の私を救った情報を発信していただいた、顔も知らぬ方々への恩返しと、未来への継承だ。当時の私が情報を得るために調べ、世話になった有名サイトがすでに閉鎖されていると知ったこともある。件の部下にサイト名を伝えたところ、すでにないと報告を受けた。
当時と比べ、今は毛髪の悩みを気軽に相談できる「空気」ができていると思う。オシャレハゲに代表される個性として、堂々とする人も増えた。ハゲは恥ずかしくなく、薄毛は病気という認識も広がり、AGAと名付けられ病気の治療という観点での情報も充実してきているようだ。
だが私はハゲや薄毛を茶化したり、気軽に相談しろとも気にせず胸をはっていろとも言わない。かつての私や部下のように、ハゲや薄毛を恥ずかしいと思い、誰にも相談できず、笑いに昇華するキャラクター性も持たず、個性と割り切る度量もない人間もいる。そのことで自分を責めなくてもいい。人間は皆同じではないし、誰もが強いわけではない。だけど悩みに押しつぶされてしまってはいけない。あなたは自分の人生を守るのだ。
ここに書く薄毛対策は、あくまで私に効果があったものだ。身バレを防ぐため境遇などに多少のフェイクは入れてあるが、薄毛対策の本質部分に虚偽の情報は入れないと誓う。部下には直接話して伝えた。万人に効果があるとは言えないが、先人たちの実践内容を元にして薄毛対策を行ってきたので、私の特殊例というわけでもないだろう。あなたが私と同じ体質なら効果が出るはずだ。
ことさらに不安感を煽り、気にしていない人にまで薄毛対策を押しつける意図は私にはない。私の体験談が、かつての私のように薄毛の悩みに殺されそうになっている人の支えになればそれでいい。そのうえで対策を実行された方が毛髪の悩みから解放され、本来の仕事で活躍されることを願っている。